<愛染堂>願成院本堂 
寛永12年(1635)に二代藩主中川久盛によって建立された。もともと岡城内にあったお寺で明治7年にお城を壊す際に移築された。城下町竹田では一番古い木造建築。
建物は本瓦曳葺き、外部は唐様、四面勾欄、付斗供は二手先組、垂木は扇垂木で肘木は繊麓を極める。軒下の四隅には日光東照宮造営奉行だった中川氏が連れ帰った飛騨の匠が持参した左甚五郎作といわれる天邪鬼や人面の彫刻が刻まれた宝形造の三間堂で内部には柱がない。内陣の天井は格天井、側壁全て極彩色に塗られ、所々に室町時代の手法技巧も見られる。棟梁は竹田番匠作右衛門と伝えられている。
本尊は愛染明王で恋愛成就の神様。お顔はえん髪、怒目、牙を剥き弓矢を執り忿怒形相雄輝荘厳。
道内には弘法大師直筆の仏画や伝教大師作の仏像、土佐光起作といわれる屏風などがある。
そして仏足石といって釈迦が入寝前に石に足跡を残したという石インドにあり、昭和29年にそれを模した石が発掘された。また移築した愛染堂に廃仏毀釈で仏像が壊されるのを惜しんだ人がここにまとめて安置したという仏像が11体ほどある。

本尊は愛染明王で恋愛成就の神様。お顔はえん髪、怒目、牙を剥き弓矢を執り忿怒形相雄輝荘厳。
道内には弘法大師直筆の仏画や伝教大師作の仏像、土佐光起作といわれる屏風などがある。
そして仏足石といって釈迦が入寝前に石に足跡を残したという石インドにあり、昭和29年にそれを模した石が発掘された。また移築した愛染堂に廃仏毀釈で仏像が壊されるのを惜しんだ人がここにまとめて安置したという仏像が11体ほどある。