(中尾神社)                                      
創始は不明。祭神は玉依姫(タマヨリヒメ)<日本神話の神で日本書紀、古事記にも登場する。海幸彦、山幸彦の話の中に出る豊玉姫(トヨタマヒメ)の妹。姉の豊玉姫の出産に付き添うために海辺に行ったが姉に頼まれ姉が産んだ子を陸に抱きかえる>と応神天皇、神功皇后<仲哀天皇(第14代)の皇后>の3神で吉田神社と同じ。入田の都賀牟礼城主だった入田親誠(親真)<にゅうた/いりたちかざね>が天正年間に鎮守として崇拝した。
戦前は、村社の社格を持っていた。
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(楠公神社)                                      
楠木正成は、南北朝時代に南の後醍醐天皇について功績を上げていたが、北朝をたてた足利尊氏と湊川で戦い、自刃して果てる。尊氏は武将としての正成を認め擁護したがその後の代になって逆賊として扱われる。湊川に塚しかなかった正成の墓地に墓を建てたのは水戸黄門光圀だった。皇居前に楠木正成像が建ったのは明治時代で南朝系とされる明治天皇の頃に、天皇を守った武人として建てられたとのこと。前置きが長いが岡藩3代藩主中川久清は勤皇の大志があり、そのために楠木正成を崇敬し城中に奉祀して自刃した5月25日を祭日としていた。余談だが岡藩は明治維新では倒幕派だった。廃藩後明治5年(1872)4月8日に城中から拝田原の常盤公園に奉祀社を移した。明治8年(1875)9月25日玉来町の勤王家が請願し吉野山に遷宮した。
吉野山はつつじの木が植えられ季節には山一面が花に彩られる。
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