<真正寺>                         

徳治 2年(1307) 創建
正和年代(1312〜1317) 萩より阿弥陀如来像を移し本尊とした。
仏像は春日大社にあったといわれ仏師の腎問継志父子の作ではないかといわれている。この父子があるとき喧嘩をし、親子の縁を切るところまでいった。それを蓮如上人より仏像作成を命ぜられ上半身を親が、、下半身を子が鋳造した。不思議に上下がぴったり合いすばらしいものができたので親子の縁も元に戻ったという話があって、真正寺の本尊も半身が和木、半身が唐木であるためにそう思われている。

元和 2年(1616) 釈 教秀が住職となる。
お堂も仏像も整ったが住職が見つからなかった。その折肥後国から釈 教秀という僧が立ち寄った。徳もあり、人の信頼も厚いということで住職をお願いした。

慶安 4年(1651)に失火し本尊も焼けてしまった。
明治13年(1880) 7ヶ所に仏堂を配した。かなり大きな寺であった。

「逸話」人々が悲しんでいると戌亥の方向の山の辻付近に毎夜光を放つものがあるので住職が行ってみると仏像が座っていた。住職は大事に背負って寺の仏壇に元通りに安置した。寺の下は川(玉来川)だが、向岸の桜瀬の住人は玉来に来て水面に金色の光が輝くのを見たと言った。それからは山の獣も参りに来るようになった。寺は参拝者が多いので草も生えなくなったそうだ。

「余談」
中川家が竹田に転封され、城下街作りで玉来から53戸が竹田本町に移居された。その時寺町の御客屋敷といわれるところに小さな庵を建て教秀の弟子で渓祐を庵主にした。